箸休め

親父の姉の旦那さんが 陸軍の戦闘機パイロットだったので、幼い頃

戦争の話を聞きに行った、戦争前「伍長」と言う位だった、ただ、何を

しでかしたのか、終戦時もg「伍長」のままだったらしい。ポツダム宣言

昇進したらしい。

陸軍一式戦「隼」に搭乗して、マレーシア、タイ、ビルマで主に、イギリス

軍を相手に戦闘していたらしい、「隼」は、12.7mm機関砲二丁で、火力が

弱かったとの事、更に撃ち落とした敵機の機関砲も12.7mmたったが、弾の大きさ

が、日本側は、小さく威力が小さかったらしい、おまけに弾薬の補給が来ない為

部隊で相談して、アメリカ製の12.7mmを「隼」積んで戦闘したとの事。

米軍の爆撃機B-24は、積載機関銃が全て12.7mmで、12丁積んでいたので、極力

エンジンを撃ち抜き、不時着させ、武器弾薬を回収し、再利用していたが、ある日

本土から参謀と言う位の偉いさんが来て、こっぴどく叱責されたが、「それなら

武器弾薬、新しい機体を補充してください」と言い返したら死ぬほど殴られたらしい

それから 部隊を離れ、機種変更で三式戦「飛燕」を受納し、三重県明野で訓練し

9機で 三重、鹿児島(知覧)、沖縄、台湾、フィリピンと海軍の爆撃機に誘導され

飛んだのだが、沖縄で、8機が故障で飛べなくなり、整備班が本土からきて、2週間後

フィリピンに着いたが、全機故障で飛べなくなり、何もする事が無く、対空機関銃

の陣地作りをやっていたらしい。たまたま「隼」が何機か有ったので、また 米軍の

機関銃を積んで、米軍の艦載機と戦闘し、何機か撃墜し、また、武器、弾薬を回収し

再利用してた、再度名古屋の工場に戦闘機を受け取りに行ったら、エンジンの付いて

いない機体が100機近くあり、この国は本気で戦争しているのだろうか?

思わず憂鬱になったとの事、今回は空冷式の「飛燕改」を受納し、また 三重県

訓練をして、東京の防空戦に回された、この空冷式飛燕は、ものすごく性能が良く

グラマンやP-51との戦闘も全く恐ろしくは、無かったとの事、ただ機首の20mm

機関砲は、接近して撃たなければ すぐ弾道が垂れてしまい、命中しなかったが

当たれば、一撃で撃墜出来たとの事、やはりアメリカ製の12.7mmは良かったと

言っていた、この飛燕改も隼も エンジンは、確実にかかり、安心して飛べたとの事

イギリスのハリケーンやスピットファイヤーは、機銃が命中するとすぐにエンジンが

停止するので、戦闘は結構楽だったし、米軍の様に一撃離脱で無く、結構格闘戦闘

(ドックファイト)を挑んできたので、やりがいが有ったとの事、戦闘時お互い

弾切れだった時、横に並んで飛行し、笑顔で敬礼して、別れたことも何度か、

イギリス軍とは、有ったと言っていた。

米軍には、そんな情は、一切なかったとも話していた、戦後 飛燕改の事を

5式戦と呼んでいるのを良く聞くが、思わず「へー」との事だった。