幕末の土佐藩坂本龍馬の家は郷士なので、実質 藩からの給料は

ほぼ無いに等しいが 実禄は、600石近く有ったと本で読んだことが有る。

幕府旗本でも50石、100石取りは、結構大きい方で、町方同心等30俵二人扶持

である。1石ないのである。 また 土佐藩の家老並の後藤象二郎も600石

つまり竜馬の家は、大変裕福であった、何故なら 坂本家は才谷家の分家で

才谷家は、両替商として、土佐藩の武士達に結構な金を貸している。

当時土佐藩には、三家の豪商がいて、才谷家(近江坂本の明智光秀の娘婿の

明智秀満の子が乳母に助けられ、土佐に逃げて来た。)は、明智家の

子孫と言われ、林業から始め両替商となり、燐藩の阿波にまで、その名が知れている

もう一家は 浅井家(もちろん浅井長政の子孫)、もう一家(名前ど忘れ、ただし

近江商人の家系)。つまり、全て近江商人の系列。竜馬が江戸で勝海舟に会えた?

(脱藩した浪人が、今で言う防衛大臣会える?)普通なら門前払いなのに

快く会えたのは何故? きっと近江商人のルートがあり、近江商人グループから

何かの話の関係で竜馬が使いに出ていたのでは無いだろうか?、現に神戸海軍操練所

(本隣の兵庫の港に小栗上野介が開いた幕府海軍操練所が既に有った)の設立の

資金は、どこから出ていたのか?竜馬の海援隊の隊士100名近くの 給料飲食費は、

まだ軌道に乗っていない時期なのに誰が出していたのか?薩摩や長州では無い。

思うに、西郷隆盛らは、グラバーから、武器弾薬その他軍資金を出してもらい、

討幕に出たと思う、しかし坂本龍馬は、近江商人ルートで 北海道の昆布を越前経由で

琉球に密貿易したり、対馬のスルメを同じく琉球経由で清国に売ってそれなりの

利益を上げていたのでは無いだろうか?同じ討幕でも、無血討幕を目指した竜馬と

グラバーらイギリスが黒幕の武闘討幕では(明治政府に圧力をかけるイギリス)

根本的に方針が違って来て、竜馬ら無血討幕(現に大政奉還された)側が優勢に

なったので、西郷隆盛らは、邪魔者の竜馬を暗殺したのでは無いか?死体を検視

したら真実がわかるだろうが、させてもらえないだろうな、その西郷もグラバーら

イギリスを排除する大久保らに排除され、西南戦争へと突き進んだのではない

だろうか? 海援隊の竜馬の後の隊長某が竜馬暗殺の調査をしていて「薩摩の動き

いとおかし」との手紙を最後に行方不明になっている。竜馬の隠れ場所を知っていたのは、長州の三好(竜馬の護衛役)、西郷、後藤象二郎ら限られた者しかいない。

それも 竜馬が心を許し刀すら、傍に置かず対応していた人物、私は中岡慎太郎

犯人だと思う、竜馬に反撃され片腕を切り落とされているが、二日間、谷干城

看病していて死んでいるが、もし他の者に切られたのなら、名を教えていただろう。

西南戦争時、西郷軍を熊本城で必死に食い止めた谷干城の心情は、・・・

 

話は逸れるが、死体検視で 確か大阪の茨木市の阿武山にある、京都大学地震

研究所内から飛鳥時代の古墳が発掘され、墓室から玉の枕に位の高い者が身に着ける

冠を被ったミイラが発見された、日本書紀の通りなら、「藤原鎌足」だと思うが

DNA鑑定はしたのだろうか?(多分百済遺民なので朝鮮人) なんせ 藤原氏

祖なので、発表されないだろうな。