ヒロ君の独り言

その様な本ばかり読んでるので、

また太平洋戦争の事を書きます。

日本のシンドラーで有名な杉原千畝

彼にもらった旅券で多くのユダヤ人が出国出来た。

ただ 彼だけでなく、ハンブルグの領事館や、他の領事館でも旅券を出している。

(教科書には載っていない) その旅券を握りしめてシベリア鉄道満州

向かったユダヤ人の人々に対し、日独伊三国同盟の為、ドイツに遠慮して満州への

入国は陸軍軍令部の命で拒否され、極寒のシベリアで数多くのユダヤ人が途方に暮れて

いた、満州関東軍参謀総長の樋口将軍が 軍令部に対し「人道的対応をします」と

連絡し、返答を待たずユダヤ人を入国させ、上海や、神戸からアメリカに出国させた。

終戦時、この樋口将軍は北海道を指令部として、満州、モンゴル、樺太北方領土

の守備を受け持っていた、将軍は、各守備隊に武装解除せず、民間人保護に努める

様命令を出したが、満州関東軍は、ソ連軍が8月13日に侵攻してきた時、

上層部がいち早く引上げて残った兵は、武装解除に応じた為、満州の悲劇が起きた。

モンゴルの守備隊の「根本博将軍」は、開拓団3万人の民間人を守り、樋口将軍の

命令通り、武装解除せず侵攻してきたソ連兵、中国兵、朝鮮人匪賊の襲撃を跳ね

返し、蒋介石の好意で、衣食住を整えてもらい無事民間人を帰国された、この

帰国した民間人に進歩的文化人の方々は、中国やモンゴルの人々に迷惑をかけたの

だから、自身自らシベリアに行くべきだと朝日新聞を通じて報じた。

樺太は、軍が壊滅し「氷雪の門」の小説の通り、多数の婦女子が服毒自殺をとげた

満州で婦女子がどのような目にあったか、連絡が回っていたのだろう。

北方領土占守島では8月17日にソ連軍が上陸して来た為(ポツダム宣言

受け入れ降伏した後)、守備隊は反撃を行い、ソ連軍に多大な被害を出させた

(3000人以上の死傷者)、しかし重要なのは、この島には缶詰工場が有り700人の

女子が働いていた、占守の守備隊長は、民間船でも漁船でもよいので、婦女子を

北海道に送れと命令し、無事 700人の婦女子が北海道に着いたとの電文を受信後 

ソビエトと停戦交渉に入り、武装解除されたが、ソビエト兵は、楽しみの婦女子が

一人も居ない事に怒り、日本人将校を何人か銃殺し(犯罪である)部隊をシベリアに

搬送し使役させた(犯罪)。

樋口将軍は、ソビエト侵攻の情報を掴み、武器弾薬、将兵の増員を依頼したが

大本営関東軍も無視、根本将軍は手持ちの軍勢で対応し、占守守備隊は、少数なのに

戦車部隊を先頭にソビエト軍に突入し、壮烈な戦闘を行った。

樋口将軍は戦後 イスラエル政府から、勲章をもらい感謝された。

根本将軍は、国民党が台湾に避難し、人民解放軍にやられそうになった時、

蒋介石には、恩が有ると言って、釣りに行くと家族に言って、日本をこっそり

漁船で出国し、金門島で国民党軍を指揮して、人民解放軍に大損害を与え

台湾侵攻をあきらめさせた、ただし、元日本軍将校が台湾軍を指揮した

と言えば、中国や日本の進歩的文化人朝日新聞がうるさいので、一切表に

出ず、「武神」と呼ばれ、戦後飄々と帰国し、批判する人々を煙に巻いた。

後日蒋介石が、根本将軍にお礼の壺を進呈してきたが、同じ壺を持っているのは

エリザベス女王昭和天皇の二人のみ。家族は、そんな物普通の家で管理できないと

博物館に寄贈した、

日教組及び進歩的文化人が牛耳る教科書には、絶対出て来ない話である。