ヒロ君の独り言

ツタンカーメンのミイラは、DNA検査をされていた。

その結果、実の父親が分かった、遺伝子検査の結果、アクエンアテン

ツタンカーメンの兄と言われていた)が実の父親で、多神教のエジプトを

1神教に変更し、古い神の像や神殿を破壊した人物(アメンラー「太陽崇拝」を

神とした)、そして 自身の妻(ネフェルテティ)との三女(アンケセナーメン

をも妻としていた、ミイラは、見つかっているので、遺伝子検査で、親子と

判明した、宗教改革は 神道イスラム教に変えた様な物だったので、神官たちの

反発を食らい暗殺されたと思う、正妃(ネフェルテティ)の父親が神官のアイ

ツタンカーメンの次の王)なので、多分暗殺されたと思う、ツタンカーメンは、

年も若く神官達に逆らえず、父の改革を推進できず、旧来の多神教に戻した、

(多分それは、アクエンアテンの死後正妃のネフェルティティが男装し王となり、

旧体制戻したと思う)、ネフェルテティの死後、即位して幼馴染で父の妻だった

アンケセナーメンアクエンアテンとの間に娘が居たともいわれている)と結婚し

仲良く暮らしていたと言われている、(ツタンカーメンの墓の埋葬品の中に椅子が有り

アンケセナーメンツタンカーメンに香油を塗っている姿が描かれている、ただ

その椅子の絵の上部には太陽が描かれている「父の変革を認めていた」)

以前記したように、ツタンカーメンの墓は、義母であり、姑であるネフェルテティの

墓の廊下部に急遽造成されたもので、お棺の上に矢車草の花束がおかれてあった、

他の未盗掘の墓が無いので、風習なのか、本当にアンケセナーメンの想いなのか

分からない、とりあえず アンケセナーメンのミイラでは無いか?というミイラは、

見つかっているが、破損が酷く特定されないらしい。

ミイラと言えば、日本の皇族もミイラなされた事例が有る。

法隆寺の本前にある「藤ノ木古墳」で見つかった遺体がそうで、腹を裂かれ内蔵を

抜かれ体内に紅花を詰め込まれ、衣服の上から、四重に布で巻かれでいた、通常皇族に

近い人物は(豪族でも)殯と言う風習が有り、完全に白骨化させ、埋葬する、

なのに 死後すぐに、埋葬されている(ミイラ処理が表している)、その人物は

敏達天皇の正妃のカシキヤ姫(後の推古天皇)を敏達天皇崩御後、殯宮で、葬送の

儀式をしている最中、次の天皇の位を狙った穴穂部皇子にレイプされかけたが、

三輪君逆(ミワノキミサカフ)に阻止された(三輪君逆は、後に穴穂部皇子の命で

仕返しに物部守屋に暗殺された)、結局 次期天皇聖徳太子の父の用明天皇

決まった、しかし 用明天皇も間もなく崩御され(暗殺か)た、この時 穴穂部皇子

推す物部守屋と泊瀬部皇子(後の祟峻天皇)推す蘇我馬子との戦い時、カシキヤ姫に

馬子が穴穂部皇子の追討の許可を貰い、暗殺し、守屋も討った、また、穴穂部皇子

同調した宅部皇子も討たれた、藤ノ木古墳の被葬者は、成人男性二人との事で、古墳の

製造時期に会っているこの二人が、ミイラ処理され埋葬されたと思う(この古墳は、

きっと違う人用の未使用の古墳だったのだろう。馬子には逆らえない)

男二人 布に包まれてそれも四重巻、俺は嫌だ。