ヒロ君の独り言
古来より日本人は、怨霊や、呪いを恐れてた。
権力者は自身が排除した人物の怨霊、恨みを鎮める為、神社や塚を築き
祀った、例えば 神社と言うのは、鳥居を潜ると、本殿までまっすぐの参道がある
のが正式な神社である(大神神社等)、ところが 物部氏の怨霊を鎮める為、作られた
石上神宮は、参道を進むと突き当りになり、直角に右折すると本殿が有る。確実に
封印されている(再度権力が復活出来ない様)、法隆寺も 通常の門は、両端に柱が
有るのに、法隆寺は、柱と柱の間(真ん中)にも柱が立っている、神や魂が出る事も
入る事も拒まれている、京都の車折神社は、鳥居の下に石が詰まれ入れない、やはり
封印されている、春日大社も藤原氏の守護神社とされているが、参道は左にカーブして
参道の入り口から、本殿は見えない、つまり封印されている、(本来誰を封印して
いるのか?)法隆寺は、聖徳太子一族を封印している(蘇我氏が?)とされているが
本当だろうか?思うに 以前法隆寺の起源は、九州太宰府に有り、ヤマトに移築され
たと記したことが有る、その時、その人物をヤマトに招いたのは、天武天皇で、招か
れたのは唐に八年間抑留されていた、倭国王(薩夜麻:サチヨミ)で、天武天皇、
皇太子の草壁皇子が崩御された時、その人望を恐れた、持統天皇、藤原不比等らに
暗殺され、法隆寺に封印されたのでは無いだろうか? また、春日大社は、その薩夜麻
の息子の長屋王(既に 薩夜麻が次期天皇として準備されていたので、”親王”つまり
天皇の息子、皇太子と言う意味)も藤原氏により、一族暗殺され、遺体は生駒山に
ばらばらに切り刻まれて捨てたと日本書紀に記されている、その後、遺臣達の反撃、
(きっと藤原氏の関係者が暗殺されたのだろう)や、長屋王自身の怨霊に悩まされた
藤原氏は、怨霊を鎮める為、春日大社を建てたが、怨霊は静まらず、大仏を東大寺
(大宰府から移築)に建設し奉納したが、長屋王本人の怨霊は静まらず、大仏を
建てた行基を人柱として、生駒山に生き埋めにし、長屋王一族の遺骨を集め、平群の
地に、夫人の吉備内親王(同時に暗殺された)とは別々の御陵を建て、怨霊を鎮めたが
藤原宇合ら不比等の子ら四兄弟が、同時に亡くなった(天然痘と記されている)。
何故か平群は暗いイメージが有る(ただし 関ケ原で有名な 島左近の城も領地も
平群である)、古来中国では、遺体から、頭部を離して、別に埋葬すると、二度と
この世に蘇られないと言う考えが有る、その例は、高松塚古墳で、三種の神器(鏡、
玉、剣)が揃っていて、墓室の天井には、天皇を示す北極星の星座が描かれていたが、
剣の刀身が無く(朽ち果てたのではない)、北極星も削られ、殯後に葬られたので
舌の骨は有るが、頭がい骨は無い、つまり 蘇られては困る天皇になる資格のある
人物「黄泉の大王」と言われていて、埋葬者の特定がされていない、私は「大津皇子」
と思っている、首は、二上山に葬られている、因みに京都の車折神社の封印は、平家に
対してのものである。