歴史上、有名人の墓はどうなっているかご存知だろうか?

昔、楠木一族を調べる為、千早赤坂村によく通った、

170号線を走り、河内長野に入り 左折して、千早赤坂方面に向かうのだが

ものすごく渋滞しているし、遠い感覚がした、ところが 大阪夏の陣

後藤又兵衛が戦死した道明寺に行き、石川を越え、すぐ右折をすると、近飛鳥の

地を通り、ワールド牧場を越えればすぐ千早赤坂に着く、何か、マジックにかかって

いるような感覚すらした、その石川の東岸を南に走ると、坪井八幡宮がある、

ここには、源氏三代のお墓が有る。頼信、頼義、義家 いずれも関東や、奥州の乱で

名をはせた源氏の周流(頼朝の祖先)達である。

源頼信、兄に大江山の鬼退治で有名な源頼光が居る、源氏の関東進出の基礎を作った。

源頼家:奥州の前九年の乱で阿部氏を滅ぼした武者。

源義家:源氏のヒーロー 父の頼義と「前九年、後三年」の乱で奥州にて活躍。

こんな有名人が大阪の羽曳野にお墓が有るなんてと思い、お墓を見に行った事が有る。

ところが、まともに墓石が立っているのは、頼義のみで、頼信、義家の墓は、円墳?

平安時代中期の為、あり得ない)の上に有る、義家など墓石すら無い、何か見るも

無残な荒れようであるである、もし他人の既存の円墳に合葬されているとしたら、

何かの封印である、(「平城天皇桓武天皇の長男、後に藤原の薬子の乱で、弟の

嵯峨天皇により、平城京に幽閉され、平城京建設時に干渉した、昔の前方後円墳

前夫部を削った円墳に合葬された」「懿徳天皇吉備真備達と共に藤原仲麻呂

恵美押勝)の乱を勝ち抜き天皇家を守ったが、吉備真備らの死後 奈良西大寺に幽閉

され、ほぼ餓死状態で殺され、近くの前方後円墳(時代が違う、他人の墓)に合葬

された」)、藤原氏による、源氏の台頭に対する、封印の呪いがかけられていると

推測する、近くに行くと、義家公の怒りが感じられる。怖ろしい。