ヒロ君の独り言

テレビで兵糧丸(和菓子)の紹介をしていた。

作り方がやはり、和菓子だった。

本当の兵糧丸は、戦場(戦国時代)で米が炊飯出来ない時の代食である。

作り方は、大豆をお酒に浸し、柔らかくなったら、すりつぶし、ハチミツを入れ、

団子状に丸め、乾燥させ、日持ちするようにする。直径3cm程、たいていは、おにぎり

を作り、夜など、味噌を塗って焼きおにぎりにして食べる、その他、炊飯したコメを

一旦 水にさらし、乾燥させ、干飯を作り、竹筒に水を入れ そこに干飯を入れて、

ふやかして食したり、そのまま食べ、後で水を飲むと言う段取りが多かったらしい。

直径1cm程の兵糧丸を袋に入れ、天井裏等に忍んだ忍者が、水と兵糧丸だけで、数日

監視を続ける事も有ったらしい、出身地域により、蕎麦粉を大豆の代わりにしたり、

米粉を大豆の代わりにしたりした所もあったらしい。

太平洋戦争時の日本軍や、現在の非常食として乾パンも一種の兵糧丸である、ただ、

食べる時、音がしてはいけないのが、忍者用の兵糧丸であるらしい(昔 甲賀

仕事で滞在した折、先祖が伴家の甲賀忍者だったという爺さんに聞いた事がある。)

戦場に駆り出された農民兵は、年に一、二度しか食べられない米の飯が食べられ、

その時だけは、幸せを感じたらしい。

現在、地震等で、電気が止まったら、浄水場の水道水も止まり、下水場も稼働しない

ので、タワーマンションの高層階住んでいる人はどうするのだろう?背筋が寒くなる。

阪神大震災の折、病院や工場の稼働準備に行ったが、水洗トイレが当然使えず、水も

なく、自転車やバイクはすぐにパンクするから使えず、苦労した記憶がある。

特に、トイレは悲惨だった、うんちが山積みになっていた、マンホールの蓋を開けて

簡易トイレを作った所など行列が出来ていた、知人に頼んで使っていない船(結構

大きかった、クレーンが必要だったので)を出してもらった、岸壁の近くで若い女性や

子連れの母親がトイレを使わせてほしいと、泣きそうな顔をして頼んできた、友人は

岸壁に直接接岸できないので、小舟で何度も往復し、船のトイレ、風呂、洗濯機を開放

して、仮眠室で、被災者を寝かせ、温かいカレーを振舞っていた、材料も飲料水も

燃料も、汚水タンクも満杯になったので、仲間に補充を依頼し、数か月頑張っていた。

本当に頭が下がる、泉佐野漁業組合 最高!!