ヒロ君の独り言
東大寺や、興福寺、西大寺等、各寺の仏像の中に、仏様を守護する四天王像や
十二神将像が有る、それぞれ見事な甲冑を着ているが、当然中国の鎧である、
ただ どの時代なのか? 殷時代、周時代、春秋戦国時代の甲冑は、秦時代の
兵馬俑等で、表されている、皮をなめし、短冊上に革ひもで編んだ佳甲という種類で
動き易い、同様に漢、晋、後漢、三国志の時代、等もほぼ同じ形態の甲冑だったと
考えられる、隋時代や、唐時代に「明光鎧」という物が確立されてきた、これが
十二神将らが、着用している甲冑であると考えられる、材質は、皮と鉄で、お腹部分と
胸部分が別になっている、しかも大変美しい、それまでの甲冑は、実戦専用の甲冑で
見栄えは無い、しかも この様な甲冑が着れたのは、武将クラスの身分の高い人たちで
一般の兵は、厚手の服と盾ぐらいの防御手段であった、宋時代には、「護心鏡」と
言われる楕円形の円板(金属製)を腹と背中に取付けたものが出て来た、その後の
金帝国も宋時代と同じだが、元時代になると綿鎧とも関包衣とも言われる騎馬民族
独特の、服の裏側に革や鉄の短冊状の物を縫い付けた甲冑が出て来た、なんせモンゴルの戦いは、冬季のマイナス20度近い気温の中での戦いがメインであったので、防寒を
兼ねて着用していた、但し、暑さに弱い、元寇の敗因の一つでもある。
同様の綿鎧を着用していた高麗軍も、日本の暑気による疫病の発生で自滅していった。
明時代は、宋時代と同じ甲冑だったが、清時代は、やはり北方騎馬民族だったので
モンゴルと同様の綿鎧であった、朝鮮半島の高句麗も騎馬民族だったので、彼らの
古墳を発掘して、出て来たのは首も守れる、何の面白みも無い、佳甲(革製)だった、
以前 NHKの韓流ドラマで「広開土王」をモデルにしたもので、ヨン様が着用していた
アニメに出てくる「聖闘士セイヤ」のメッサ美しい甲冑等、当時は、ナイナイ、夢を
見るのもいい加減にしろと言いたい、因みに、甲冑を着た戦士たちは、大変臭い、特に
モンゴル兵や、西洋の騎士など、着たままなので 大変 吐きそうなほど臭かったら
しい、見場の美しさに騙されては、イケない。