ヒロ君の独り言

久々 記します。

倉山満著書「織田信長」を読んだ。

今までの信長は、スーパーマン、超人として描かれてれているが、

この作者は 人間「信長」を書いている。

今までの、信長は部下に厳しく、お金を惜しみ、残酷な面ばかりを描かれている。

誰がその様に描いたのか? もちろん 豊臣秀吉である。

信長公記太閤記等である。

比叡山延暦寺の焼き討ちも 焼かれた跡が無い、有るのは 信長時代から

100年近く前の 細川政元による、延暦寺の焼き討ちの跡のみであるある。

浅井、朝倉氏を匿った延暦寺と信長軍の戦いは確かにあったが、焼き討ちは、

あくまでも伝説である。更に この本によると、信長は、現代の上司にしたい

最高の指導者であったと記されている、まず、部下へのノルマが緩い(太閤記では

真逆)、適材適所に適した人物を配置し、殺人を好まず、敵と戦う時は

敵の数倍の人数で戦に臨んだ、桶狭間今川義元が引き連れて来た軍勢は、

精々1万人程、織田軍も 信長公記に記されている3000人で無く、同数の軍で

戦い、今川軍の内部反乱にて辛うじて勝利した、この時以降、信長は「桶狭間

の様な無様な戦は二度としない」と近親や、前田利家に語っている。

おねに対する、秀吉の浮気に対する慰めの手紙や、側室や正室に対する態度も

物語に描かれている高圧な態度ではない、正室には子供が出来なかったが、

側室の「生駒芳野」との間に、信忠、徳姫、信雄をもうけている。

この生駒氏は、奈良の生駒地域に居た豪族で、筒井氏、興福寺、鷹山氏に追われ

尾張に亡命してきた諜報を得意とする一族で、その諜報員の一人が秀吉である。

この 芳野の推挙で秀吉は信長に仕えているのだが、後年 都合が悪いので

蜂須賀小六や川並衆を物語に出しているが、それらの元は生駒氏であった。

生駒氏への秀吉の態度は、竹中半兵衛亡き後の竹中氏への態度とほぼ同じ

である。本能寺の変の秀吉の大返しも物語(太閤記)の日数では姫路にもたどり

着けない、更に準備を含め、一月前には 本能寺の変を知っていて、準備をし

石田三成小西行長、堺衆の援助の元 船で大阪まで戻って来たのが、ほぼ真実

らしい、自身が天下を取った為、信長の残虐性を押し出したのだろう。

秀吉、光秀、家康 それぞれにとって信長は目の上の瘤で、排除したかったのであろう。来年の 大河ドラマが楽しみであるが、佐々木蔵之介の秀吉は・・・

どれだけ真実の信長を描けるか? この倉山満氏の描く信長は、カリスマだけで

人に嫌われ残虐な人間性に(そんな人間が何故天下人になれるのか)疑問だった。

それを解消してくれた。