ヒロ君の独り言
皆は、社会科歴史の授業で縄文時代→弥生時代→古墳時代と習ったと思う。
しかし 縄文時代は約1万年前から、この日本列島で発生した。
当時は、温暖で青森の三内丸山遺跡近辺では、栗の花粉が大量に発掘されている。
つまり 十分な食料が有り、遺跡から糸魚川の翡翠も出て来ている。つまり 日本海側と貿易もしていた、また 近辺の貝塚から 女性のお墓が発掘された、貝塚はゴミ捨て場と習った人もいるだろうが、貝殻のおかげでこの酸性土の日本列島で 遺体は瞬く間に土に返るのが、貝殻のおかげで遺骨が発掘された、1体は 身体に障害がある20歳ぐらいの女性、別の遺骨は、70歳近い老婆、当時の寿命は30歳半ば、だとすれば、1人では同然生きていけない人を 村全体で支えてきたとの証であると思う、また、授業で湯治は半裸でイノシシやシカを狩って生活していたと教えられた人もいるだろうが、最初に書いた栗の花粉だが、自生していたのではなく栽培していなければそれほどの地域にまとまった花粉が発生することはない、きっと栗の畑があったと考えられる、更に弥生と言う時代までの数千年間戦と言う戦の跡が無い、発掘されるお墓の遺体に矢じり等の残留が見つかっていない つまり戦をしなければいけないほど飢えていなかったという事だと思う、